ベトコンという誇り
ベトナム戦争といえばまずこれが浮かびますが
教科書で習う「ベトちゃん、ドクちゃん」
は日本では有名ではないかと思います。
ちなみに、ベトさんは亡くなってしまいましたが、ドクさんは結婚をし2児の父となっているそうです。
枯葉剤の後遺症に代表されるようにベトナム戦争はとにかく悲惨という印象があります。それは世界史で初めて戦場ジャーナリストが出現し、一般の人が知ることない戦争の生々しさを世に伝えたからでしょう。数々のピューリッツァー賞受賞写真がベトナムの現場で撮られました。
日本含め世界中で反戦運動が起きたのも、メディアの力が大きかったようです。ホーチミンにあるベトナム戦争博物館に各国の反戦キャンペーンの展示がありました。
個人的に大変な興味を持っており、ベトコンが使用したクチトンネルという巨大防空壕のツアーに参加しようとしたのですが、亀頭がただれるという奇病にかかり、療養中に滞在期限が来てしまった為、行き損ないました。件については後述します。
このような忌まわしいベトナム戦争ですが、ベトナム人にとっては「痛み」であるのと同時に「誇り」
であると考える人もいます。ベトコンの強さ粘りはアメリカ軍を撤退に追いやり、事実上の勝利をもたらしたからです。もちろん皆が同じ考えではないですが、私がハノイで話を聞いたベトナム人は嬉々として雄弁に話し、とても印象的でした。
さて、私はといえば、バックパッカーというものを始めて最初の国です。ハノイに降り立ち1日目に何をしたのかといえば、バイクを購入するというトリッキーさです。世界一のバイク大国ベトナムでどうしても乗りたかったのです。世界一と書きましたが、バイクの保有率が世界一というわけでは有りません。何だか世界一っぽい雰囲気があります。youtubeで検索してもらえれば分かると思いますが、crazy trafficです。そんなベトナムですが、やはり「HONDA」強し、なんとシェア70%超えだそう。
バイクでハノイからホーチミン、ベトナム縦断の旅が始まりました。約1800km、
こんな道無き道を2週間走り続けました。途中、世界遺産のハロン湾、フエ等に寄りましたが割愛します。そんな中、フォンニャケバンの洞窟探検は非常に楽しかったです。アクティビティ多めでオススメです。
しかしここからが本当の地獄、一つ一つの町が特色豊かでのんびり回っていたら、残り2日間でダナンからホーチミンに行かなければならないという事態に陥りました。〈ビザ無しでは15日しか居られないのです〉あまりピンと来ないかもしれませんが、何とその距離1000kmover。丸2日朝8時から夜8時までひたすら走る。その間南国の日光を浴び続け、悪路にお尻と腰は破裂寸前、剥き出しのマフラーに触りくるぶしを火傷し、汚い手でチンポジ修正を繰り返し亀頭がただれるという瀕死状態でホーチミンに深夜到着。翌朝ちんちんを診てもらいに病院に行き、そのまま絶対安静でホーチミンは全く観光しませんでした。
ベトナムといえばやはり飯。フォーやバイミーン等食べまくりです。中でもダナン近くの小さな漁村のアサリをドロドロに煮込んだお粥が、人生で五指に入る旨さでした。〈写真は撮り忘れました!〉料理名も知りませんが、のちに聞く所によると中部の海沿いのアサリ料理は有名でどこで何食べても旨いようです。
大小多くのお寺が市井にあり、道行く人は足を止め、手を合わせる。
ベトナム中部は戦争が最も激しかった場所で、枯葉剤の傷跡が残る。昔は密林であったそうだ。
物価は安くこのホテルに6$で泊まった。